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Posted on 2020-07-03
【令和2年7月3日(金)】羽田イノベーションシティ(HICity)オープン

令和2年7月3日、沖合展開により生まれた旧羽田空港跡地利用として、大田区が国より取得した敷地5.9haに新しい「まち」として「羽田イノベーションシティ(HICity)」が誕生しました。
この地は、かつて「羽田三町」と呼ばれた羽田鈴木町、羽田穴守町、羽田江戸見町でもあり、明治から戦前まで穴守稲荷や東京飛行場で栄えた街でしたが、敗戦後の昭和20年9月21日、飛行場として拡大すべく接収したGHQにより全住民1200世帯、3000人が48時間以内の強制退去を命じられました。
占領が終わり日本に返還された後、昭和30年に新ターミナルビルが完成し、戦後の高度成長と共にここが日本の空の表玄関として昭和53年の成田開港までの独壇場でした。
そして、平成5年に沖合を埋立て建設された「ビッグバード」(現・第1ターミナルビル)が完成すると、ここもその使命を終え、それから20数年経て新しい「まち」ができたのです。
こうした日本が辿ってきた歴史を刻む「まち」というのが、「羽田イノベーションシティ(HICity)」の根底であり、更にここから未来へのイノベーションを産みだす「まち」にしようというわけです。
この素晴らしいコンセプトに賛同したわたしたちHASMも、当施設インフォメーションセンターの空中ディスプレイ「羽田の歴史」コーナの「羽田空港・飛行機の歴史」に制作協力いたしました。
44ページで、羽田200余年の歴史に迫るコンテンツに仕上がったと思います。
皆さまもHICityにご来場の折りは、ぜひインフォメーションセンターにお立ち寄りいただいて「羽田の歴史」コーナを覗いて下さい!
更にHICityの魅力のもう一つは足湯付の屋上が開放されており、なんとB滑走路が全部見えてます!!
新経路では、B滑走路から頭上を離陸する機体を足湯に浸かりながら堪能できるのです。
これで行かない手はないでしょう!!!

【羽田イノベーションシティ(HICity)コンセプト】
羽田はずっと、イノベーティブな場所でした。
異なる発想や文化が共存し、新たな価値を生み出すまちとして
その歴史を刻んできました。
このエリアは、かつてのどかな漁師町でした。
やがて広い干潟を利用して「東京飛行場」が開港し、
新しいこころみだった海苔の養殖と、新しい技術でつくり出された飛行機が、
ひとつのフレームの中で、共に風景を彩るようになります。
その後も、様々な価値観を受け入れ、発展させながら、
日本の玄関口「羽田空港」として
世界中の新たなヒト・モノ・コトをこの国に運んできました。
そしてこれから。
そんな羽田の革新性を象徴するかのような、新たな都市がこの場所に生まれます。
羽田イノベーションシティ
町工場が育んだ技術と、最新テクノロジーの融合。
伝統文化と、現代アートの融合。
羽田がずっとそうであったように、異なる価値が行き交い、交錯することで、
日本の次なるイノベーションを生み出していきます。
2020年、⽻⽥から世界に向けて、まだ見ぬイノベーションが飛び立ちます。
(羽田イノベーションシティ サイトより)
https://haneda-innovation-city.com/#top

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