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Posted on 2021-03-04
【令和3年3月3日(水)】一般財団法人「科博廣澤航空博物館」設立のお知らせ

令和3年3月3日(水)、国立科学博物館と茨城県筑西市でザ・ヒロサワ・シティを運営する廣澤グループがYS-11量産初号機(JA8610)はじめとする航空機の展示施設を管理運営するため、一般財団法人「科博廣澤航空博物館」を設立しました。
博物館のオープンは、本年中を目途とするということで大変楽しみです。
以下、発表資料より詳細を紹介します。

1.設立の経緯
国立科学博物館では、羽田空港内の格納庫で20年ほど大切に保管されてきたYS-11量産初号機が、東京オリンピック・パラリンピック開催を前に移設を求められ、保管場所を検討していたました。一方で、ザ・ヒロサワ・シティでは歴史的価値の高い展示物の設置を検討しており、両者の希求が合致し、航空機に関する標本資料全般について展示する施設を設置することになりました。
これを受けて、管理運営の主体となる一般財団法人の設立に至ったものです。
2.設立目的
国立科学博物館から貸与された標本資料などを利用し、航空機の歴史や原理などについて理解を深めるための諸活動を行うことを目的として設立された一般財団法人です。
3.主な事業
今後、以下の事業を主に展開して参ります。
(1)科博廣澤航空博物館の運営及び管理
(2)航空に関する実物、模型、図版、記念物、文献等の資料の収集
(3)航空に関する普及啓蒙活動
(4)航空に関する科学技術の進歩発展に関する調査研究
(5)その他当法人の目的を達成するために必要な事業

「科博廣澤航空博物館」の主な展示資料
・「シコルスキー S-58(HSS-1)」
シコルスキーS-58 は、海上自衛隊が対潜哨戒機 HSS-1 として採用し、三菱重工業が 1958年(昭和33年)からノックダウン生産を行いました。
本機は民間型で、海上保安庁が3機購入した内の一機で、南極観測船「宗谷」とともに、第3次~第6次(昭和32年から昭和37年)の南極観測に使用されました。
1959(昭和34)年には南極に残されていたカラフト犬「タロー」「ジロー」を救出しました。
その「ジロー」は現在科博に展示されています。1964年(昭和39年)からは、海上保安庁で海難救助や海上公害監視、海上交通指導などに使用され、1973年(昭和48年)に科博に移され、2000(平成12)年まで展示され、その後、展示改修に伴い資料庫で保存されていたものです。
シコルスキー諸元
製作:ユナイテッドエアクラフト社・三菱重工業(株) 座席:14名
エンジン:ライト式サイクロン 989C9HE2 型1525馬力
全長:20.049m
全幅:17.069m
巡航速度:166.68km/h

・YS-11 量産初号機
1 保存に至る経緯
平成11(1999)年1月に退役する YS-11量産初号機の保存のため,当時の運輸,文部,通産,大蔵等関係省庁で協議され,国立科学博物館において維持管理が望ましいとの合意がなされた。
国立科学博物館は,平成11年2月26日付で運輸省航空局長宛にYS-11量産初号機の取得要望書を提出。
同年8月に運輸省から管理換を受けた。

2 保存目的
科博が保管するYS-11は,我が国航空機製造事業の期待を一身に受けた量産初号機(製造番号2003)である。
機体登録番号はJA8610と,YS-11全機中一番若い番号を与えられている(試作機2機の製造番号はそれぞれ2001,2002,機体登録番号は JA8611,JA8612 であった)。
昭和40年3月に運輸省航空局に納入され,「ちよだⅡ」と命名されて,羽田空港をベースに,飛行検査機として2万時間を越える飛行実績を有する。
我が国唯一の純国産開発の民間輸送機であり,国家支援のもと性能・経済性等世界的評価を得て,世界で活躍した YS-11 であり,特に
①我が国航空関係者の「汗と涙」が結晶され,わが国航空機製造事業の期待を一身に受けた栄えある量産初号機
②現存するYS-11の中で試作機を除く最古の機体
③我が国の飛行安全確認の点検機として任務を全うした航空機である。
また、平成19年には「機械遺産」(日本機械学会)に認定され、さらに、平成20年にも「重要航空遺産」(日本航空協会)として認定されている。

・「霧ヶ峰式鷹 7 号グライダー(電建号)」
日本での航空再開(サンフランシスコ講和条約発効は昭和27年4月で新航空法公布は昭和27年7月15日)がなった昭和27年5月11日、日本グライダー倶楽部によるグライダー公開飛行大会が行われ、日本の空に再び、日本人の操縦による翼が舞いました。
飛行したグライダーは、戦前にグルナウ・ベビーⅡ型をもとに白石穣治が設計した霧ヶ峰鷹号7型で、飛行の前年11月から都内板橋の荻原木材工業で住宅メーカーの日本電建(株)がスポンサーになって製作し「電建号」と命名され、グライダーとして、航空再開後、最初の登録機となりJA2001が与えられました。
日本グライダー倶楽部に寄贈された電建号は、この公開飛行後も7年間にわたり、日本グライダー倶楽部で使用され、層飛行回数1785回に達したと記録されています。
昭和35年に秩父宮記念スポーツ博物館に寄託・保管され、平成14年に国立科学博物館に寄贈されました。
平和となった日本の空を飛んだ最初の翼です。
仕様
翼幅: 13.50m 全長: 6.15m 高さ: 1.35m
主翼面積: 14.2m2
縦横比: 12.85
翼断面積: 535m2
自重: 135kg
搭載重量: 80kg
翼面荷重: 14.8kg/m2
全備重量: 210kg
最小沈下率: 0.82m/s
最良滑空比: 18:1

・「日大式ストークB」人力飛行機
1977年(昭和52年)1月2日、ストークBは2093.9mを飛び、当時の人力飛行の世界記録を作りました。
日本大学理工学部では1963年(昭和38年)以来、航空学科の卒業研究として人力飛行機の研究を行い、リネット型5 機種(リネットⅡが91m)、イーグレット型3機種(イーグレットⅢが203m)に続く機体として作られたのがストーク型です。
ストークBは、1976年2月29日にロールアウトし、木村秀政教授により「STORK(あほうどり)」と命名されました。
1976年3月に日本記録(ストークA)、1976年12月に世界記録(ストークB・同じ機体)を更新しました。0.3~0.4馬力しかない人力で飛ぶために、ストークB機は機体重量がわずか35.9Kgしかありません。
ちなみに現在の定義での人力飛行機の世界初は、イギリスのサザンプトン大学で作ったサンパック号で、1961年11月9日,約45mの距離を飛行しています。
諸元
製作:日本大学理工学部座席:1名
全長:8.85m 全幅:21m
主翼:21.70(m2)
全重量:35.9kg
世界記録:滞空時間記録4分43秒(1976年12月31日)飛行距離記録2093.9 m(1977年1月2日)(ただし当時人力飛行機はFAIの公式記録に入っておらず、未公認)

・「零式艦上戦闘機」
国立科学博物館所蔵の零式艦上戦闘機(零戦)は、ラバウル北西のニューブリテン島ランパート岬沖約250m、水深8mの所に裏返しで沈んでいたもので、昭和47年に発見されて引き上げられ、オーストラリアのペントランド(G.G.Pentland)氏により整備・復元が行われた。
その後昭和49年に日本大学教授石松新太郎氏が購入して、国立科学博物館に寄贈されたものである。
本機は引き上げ後の調査により、昭和19年に米軍の侵攻で航空戦隊がトラック島に転進する際、ラバウルに残された数機の被爆、不調の零戦を現地で修理、組み立てたうちの1機で、偵察用として復座に改装された零戦である。
ベースは零戦21型で、機体番号「53-122」はラバウルに残留した航空部隊二五三空の所属、操縦士は吉澤徳重上飛曹であったとされている。
零式艦上戦闘機、通称「零戦(ゼロ戦)」は、皇紀2600年(1940年)に海軍の制式戦闘機として採用されたため零式と呼ばれる。
日本の航空機開発技術は昭和10年前後にようやく欧米の模倣を脱却し、零戦の前身である三菱96式艦上戦闘機がわが国最初の全金属製低翼単葉戦闘機として設計、開発され優れた性能を示した。
後継機の零戦も、三菱の堀越二郎・曾根嘉年技師らの設計により、徹底的に軽量化された機体による高い運動性能と、落下タンク等の採用による3000kmを超える驚異的な航続性能、7.7mm銃2挺、20mm砲2門、30~60kg爆弾2発の強力な武装を誇り、開発当初は世界でも最優秀の飛行機としてめざましい活躍をした。
終戦までの5年間に、11型、21型、32型、22型、52型、53型、54型、62型、63型、64型等多数の派生機種を生み、日本の飛行機史上最高の約1万機が生産された。
21型は開戦初期の主力機で、空母搭載のために両主翼端50cmが折り畳み式となっている。
諸元:21型(ベース機体諸元) 製作:三菱重工業、中島飛行機
エンジン:中島 「栄12型」(ハ25)空冷2重星形14気筒 940馬力座席:1名(本機は2名)
全長:9.06m 全幅:12m 全高3.509m 自重:1680kg(全備重量:23 36kg) プロペラ:住友金属製ハミルトン定速3翅(直径2.9m)
最高速度:533km/h
航続距離:3350km(落下タンク付き)
*国立科学博物館では寄贈を受けた昭和49年から上野本館で展示公開していたが、令和2年7月から長年の展示による経年劣化及び一部不適切な修復部分の修正・復元を行うために、現在、修復作業を行っている。令和3年3月に終了予定。

・「栄」エンジン
第二次世界大戦期に中島飛行機が開発・製造した空冷星型航空機用レシプロエンジン。
中島飛行機を代表する高性能な戦闘機エンジンとして有名。合計33,233台製造された。
後年、このエンジンを元に18気筒化された「誉」も開発されている。
国立科学博物館には、栄エンジンを2台所蔵しており、一台は展示中の零戦に搭載されたもの、他一台は木製飛行機「剣」に搭載されていたものである。(*「剣」は終戦間際に物資が欠乏した為、木製の飛行機が製造され、種々のエンジンが搭載された)
1.「栄21型」(ハ115-Ⅰ)
栄は零戦のエンジンにも搭載された日本を代表するエンジンです。中島は英国ブリストル社が開発した画期的な星型空冷エンジンの国産化を図り、昭和 2 年にバーゴイン技師らを招へいし星型9気筒ジュピターのライセンス生産を開始し、関根隆一郎技師が改良型の空冷星形単列 9 気筒「寿・ハ1」を開発しました。
続いてライト社サイクロン改良型「光・ハ8」等の製造経験を活かし、昭和10年頃から独自に開発されたのが空冷星形14 気筒「栄(12 型)・ハ25」です。小型1000馬力級の栄は、当時としては最高性能のエンジンでした。この発展系である栄 21型は、のちに「譽」の設計を行う中川良一技師が改良設計し、パワーアップされたものです。
【諸元】
製造年月:昭和18年12月製造
製造所名:中島飛行機株式会社武蔵野製作所型式名称:栄21型(ハ115-Ⅰ)
減速比:0.6875 直径:1,150 mm 圧縮比:7.2
その他:水メタノール噴射装置燃料供給方式:キャブレター式
過給機:遠心式スーパーチャージャー1段2速離昇馬力
1,150HP / 2,750 rpm
公称馬力
一速全開 1,100 hp / 2,700 rpm /(高度2,850 m)

2.「ゼロ戦プロペラ金型」
平成13年に住友金属名古屋軽合金製造所から、国立科学博物館に寄贈されたものです。
住友金属は、零戦が採用した自動ピッチ変更でプロペラ回転数を一定に保つ定速プロペラ(3翅)を、米国ハミルトン社からライセンス購入していました。
また住友金属が超ジュラルミンに続いて開発した超超ジュラルミンも、強度と軽量化が必要だった12試艦上戦闘機(後の零戦)に採用されました。
名古屋軽合金製造所は、この超超ジュラルミン等の増産のために建設され、プロペラの生産も行ったものです。
プロペラ長は1500mmほどありますので、零戦32型以降のプロペラ型と思われます。

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